8.5

 夕方、吉田篤弘つむじ風食堂の夜を読んでその後おでかけをした。休日の私が行動しはじめる時間はきまってこれくらいの時間。4時半。バイトへ向かうのに4時半に家を出ていた名残りなのかもしれないと考える。社員をやめたい。バイトになりたい。すべての責任から逃れてみたい。などと考える。私みたいな無気力で本や映画のことばかり考えてる人間が他人の生活の責任を背負えるわけがない。背負えるわけがないというか、背負いたくない。

 

 最近頭のなかで一つの物語が出来てきている。「バースデーブルー」という題名で四人の若者たちが登場する短編集だ。高卒で入った職場に不満を感じ逃げ腰を鍛えようとする少女、交通事故で意識不明の友人の姿を羨望の気持ちで眺める青年、周囲の人間関係に悩む少女、大学からの帰り道の電車でAV女優を目撃した青年。

 物語、完成してほしいとおもう。みんな、18という年齢から成長したくない、ずっと18のままがいいと願ってる。未成年のままでいたい。だから歳を取りたくない。19が来るのは憂鬱だ。

 

私の好きな小説の一節、「僕がこだわるすべてのものから離れたいと思っていた」最近、ずっとこの一節が頭のなかでループしている。

 このあいだ観た「ほとりの朔子」という映画が良かった。朔子は私と同い年だけど大学受験に失敗してこの夏はモラトリアムな毎日を送っている。いい意味で肩の力が抜けた。そうだ。私はまだ18なんだ。世の18歳のほとんどは朔子のようにモラトリアムな毎日をなんとなく過ごしているのかもしれないと考えると毎日身体がへとへとになるまで働いてる私の状態は異常なんだ。異常という言葉はなんだか変かもしれないけどそれ以外の言葉が見つからない。

 

「痛かったら泣いて、苦しかったら、助けてって言っちゃえばいいんだよ。きっと誰かがどうにか、力を貸してくれる。もう嫌だって、逃げちゃえば、いいんだよ。そうすることだって、できるんだよ」

 昨日か一昨日、凍りのくじらのこの一節を 思い出した。ほんとにその通りだと思った。日常の私や毎日切羽詰まる思いを抱えて毎日を送っている人に言ってあげたい。

 自分のいちばん柔らかいところだけは腐らせてはいけない。